大船渡線は政治路線か?

今日は、地元のせんまや図書館まつりで、運送会社に勤めながら趣味で郷土史を調べている菅原さんという若い人(30代前半)の話を聞いてきた。

一関(岩手)~気仙沼(宮城)~大船渡(岩手)を結ぶ「大船渡線」
駅としては「一ノ関駅~気仙沼駅~盛駅」

通称「なべづる(鍋弦)線」(現在の正式な愛称は、ドラゴンレール)と呼ばれて、政治によって路線が曲げられたのは本当か?という話である。

明治に入って、新橋~横浜に鉄道が開通した以降、釜石(岩手)に日本で3番目の鉄道ができた。このときは、国営の釜石製鉄所の物資運搬用だったらしい。

東北本線ができたのはそのあとだが「日本鉄道株式会社」が作った私鉄だったそうだ。
東北本線は一関(岩手の南の入口)まで開通した後、翌年には青森まで開通したというのだから、よほどの突貫工事だったらしい。

駅ができると、道ができたそうだ。
一関から気仙沼へ、現在の国道284号線(一部北上川沿いの路線で現在の国道とは別路線)ができた。

次は鉄道ということで「磐仙鉄道(現在と同じ線路幅1067mm)」が最初の私鉄計画の路線は、筆頭出資者の佐藤秀蔵さんという貴族院議員も高額納税者として県から一名の枠で選出された方の地元の摺沢駅を通る案であった。実現しなかったが、続いて「磐仙軽便鉄道(線路幅762mm)」が計画され、佐藤秀蔵さんは委員長(言いだしっぺのひとり)で、のちに退いたが、実験はあったらしく路線は地元の摺沢駅を通る案であった。

この私鉄計画は結局、実施には至らず、その後、国にお願いしようということになったらしい。国では、割と簡単にOKが出た。このとき、与党第1党の党首は原敬(岩手、盛岡)、鉄道院総裁は後藤新平(岩手、水沢)だったことも有利だったのか。

日本初の政党政治の原敬(岩手:政友会)総理の時に、小選挙区制をとり、岩手は大選挙区の時は2区制で盛岡が1名でその他の地域が5名だったところから、岩手全体で7区に分かれたときの総選挙で、岩手は7区全てで政友会の議員を当選させる目標を立てるのだが、7区の一関地域(西磐井、東磐井)は憲政会の柵瀬軍乃佐(さくらいぐんのすけ)が強かった。

そこで、国有鉄道の話を利用して、国有鉄道実現に向けて動いてくれる人を政治に送り込もうという話で票集め出来る人を探した時、地元の有力者を見渡し、佐藤秀蔵さんは69歳で高齢だったことから、その長男の佐藤良平さん(政治は未経験)を担ぎ出し憲政会の柵瀬軍乃佐を抑えて勝利し、結局、政友会は全7区で全勝したのでした。

「大船渡線」は政治路線か?については、

当時の鉄道官僚から見ると、本来はまっすぐ「一関~薄衣(一関市川崎町)~千厩(一関市千厩町)~気仙沼」(約50km)のはずが、政友会によって北に曲げられ、その4年後の総選挙で復帰した(政友会の佐藤良平が1期で引退した)憲政会の柵瀬軍乃佐(加藤高明※が総理大臣の時)により、南の千厩を通したことで遠回りする「なべづる(鍋弦)」(鍋の持つところの形)になったらしい。

これは、鉄道官僚からその後、政治家になった人が国会で質問した記録(愚痴を言ったのかな?)があるので、確からしいです。


※加藤高明は、竜馬伝に出てくる岩崎弥太郎(三菱)の娘婿をもらっているそうなので、岩崎家は憲政会だったのか?

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