質問「君が代のコード進行やメロディは音楽理論を知っている人からすると美しいのでしょうか?」に対する秀逸な回答

質問「君が代のコード進行やメロディは音楽理論を知っている人からすると美しいのでしょうか?」に対する秀逸な回答
Ariyama Koichi, 化学品メーカー (2017〜現在) 回答日: 2020年3月11日(水曜日)
https://jp.quora.com/kimigayo-no-ko-do-shinkou-ya-merodi-ha-ongaku-riron-wo-chi-tte-iru-nin-kara-suruto-utsukushi-i-node-shou-ka
「君が代のコード進行」というのは、他の回答者の方がお答えになっているように、エッケルトの編曲のことを言っておられるのだと思いますが、この編曲は美しいかどうかはさておき、実に興味深いものです。この編曲の和声付けは始めの2小節が単音で、そのあとハ長調が支配的ですが、最後の部分になってニ短調(ないしドリア)の気配が生じ、最後はまた単音で終わります。流石にこのメロディですからハ長調では終われず、悪く言えば誤魔化しているのですが、エンディングが単音というのは荘重さを醸し出すテクニックでもあり、ある意味では上手いものだと思います。
非常によく聴く機会があることから、格別違和感を感じることもなく聴いておりますが、いま「音楽」という言葉でイメージされる西洋近代音楽の作り方から見ますと非常に異様なものです。世界の国歌は(多分)全てが長調か短調、すなわち西洋近代音楽の枠組下にあり、これに反するのは君が代のみではないかと思われます。ユニークという点では世界一と言っても過言ではないでしょうか(歌詞の古さも世界一だと思います)。
さて、あらゆる音楽にコード進行がなければならない、という感覚はまさにルネサンス前後に成立した西洋近代音楽のテーゼであり、このテーゼがロックから演歌まで今日日常的に聴かれる全ての音楽を支配しているわけです。中にはジャズのように、その本質がコード進行のみ、というような極端なケースもあります。逆に、このようにコードが「進行する」、すなわちさまざまなコードの組み合わせのパターンで曲を作るということが西洋近代音楽とそれ以外(=世界の伝統的民族音楽)を分けるものである、と言うことができます。
さて、本題の君が代ですが、これは雅楽の「律旋法」によっていると言われています。「旋法」というものに関する一般的な誤解は、これが一種の「音階」すなわち一つのメロディに使用可能な(制限された)音のリストであるというものです。旋法は音階ではなく、旋律の構造、作り方を規定するもので、どの音で始まってどの音で終わり、その間どういう旋律パターンが利用されるか、といったことを規定するものです。従って、オクターブの同一性(高さによらず同じ音名は同じ意義を持つ)は必須ではなく、また律旋法に見られるように上行と下行が異なることも普通にあり得ます。
私は、世界の民族音楽の世界は「旋法」派と「倍音」派に概ね分かれると考えておりますが、いずれの場合も「コード進行」という概念がないことが特徴です。旋法の枠組みは、その中心となる音を指定するものであり、それが複数(五度とか四度とか)である場合はコード(和声)が存在すると言っても差し支えないと考えますが、それが決して「進行」しないところがポイントです。これは別に「原始的」などという話では全くなく、それによって曲の個性を明確にしている、ということです。
以前にネットで「君が代はドリア旋法」という説を聞いて腰が抜けるほど驚きました。「レ」で始まって「レ」で終わるメロディからそういう発想が出てきたのだと思いますが、旋律のありかたを見ますといわゆる教会旋法としての「ドリア旋法」とは無縁であることがよく分かるはずであり、これがまさに旋法と音階を混同している、という典型だと思います。ましてや近代の教会旋法は近代的な「コード進行」との妥協の上にできたものであり、れっきとした西洋近代音楽のスタンダードの上に立脚しているものです。
結論的に言えば、君が代を本来の形で理解しようとすれば、進行するような「コード」ではなく、単一の和声あるいは旋法の枠組を感じさせるような演奏の仕方によらなければならない、ということかと思います。しかしながらエッケルトの魔力(あるいは呪い)は誠に強力で、私も決してそれを免れていないことを告白せざるを得ません。しかしもし君が代単体を虚心坦懐に聴くことができれば、それ自体なかなかすっきりした旋律だと思うのですが、いかがでしょうか。

このブログの趣旨とは異なりますが、君が代の作詞・作曲は誰なのかという疑問がわいた
宮城県図書館 による質問への回答
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000204841

質問
「君が代」について知りたい。
1 作詞・作曲者
2 2番の歌詞
3 歌詞の意味

回答
1 君が代の作詞・作曲者について
(1)以下の資料に君が代の作詞・作曲者についての記載がありました。
資料1 『世界大百科事典 7』平凡社, 2007【031/079/7タR】
pp.135-136 「きみがよ 君が代」の項
「19世紀末以降,事実上,日本の国歌として扱われてきた天皇の治世を奉祝する歌.歌詞は《古今和歌集》に由来するが,その初句は<我が君は>であり,<君が代は>となったのは,《和漢朗詠集》の一写本に始まるといわれる.近世に入り,地歌,長唄などにもとり入れられ,祝賀の歌詞として用いられた.1869年(明治2)ころ,横浜にいたイギリス軍楽隊長J.W.フェントンが国歌の必要を説き,薩摩藩砲兵隊長大山弥助(のちの元帥陸軍大将大山巌)が薩摩琵琶歌《蓬莱山ほうらいさん》に入っていた《君が代》を歌詞として選定(選者については異説あり),フェントンがこれに作曲.76年,この曲は日本人に不適であるとの判断から,海軍軍楽隊長中村祐庸は<天皇陛下ヲ祝スル楽譜改訂ノ儀上申>を提出,西南戦争後,海軍省は新曲作成を宮内省式部寮雅楽課に委嘱,80年同課では壱越いちこつ調律旋により作曲(形式上は<林広守撰譜>と公表),海軍省傭教師F.エッケルトが和声を付し,(後略)」

資料2 山田孝雄『君が代の歴史』宝文館出版, 1979【911.1/ヤ1-2】
pp.3-9 「一 初見」の項
「先づ「君が代は」の歌の文獻の上に最初にあらはれたのは何時からかといふに、古今和歌集に見ゆるのが最も古いとせられてゐる。この集は醍醐天皇の勅を奉はつて、紀貫之、紀友則、凡河内躬恆、任生忠岑の四人が淸撰して延喜五年四月十八日に上つたものであるから、昭和三十年よりかぞへて千五十年前に出來たものである。(中略)かくして、その卷七、賀歌の部のはじめに 題しらず 讀人しらず と標して 我君は千世に八千世にさゝれ石の巌となりて苔のむすまて といふ歌を載せてある。之が今いふ「君が代は」の歌の古い形だといはれてゐる。(中略)一条天皇の朝に四納言といはれたうちの第一人者大納言藤原公任の著した和漢朗詠集といふものがある。(中略)この歌は本によつていろいろの形になつてゐるが、古くは皆初句は「我か君は」とある。第二句は「千代に八千代に」といふのと「千代にましませ」といふのとの二様になつてゐ、又末句は「こけのむすまで」と「こけむすまでに」と二様になつてゐる。かくの如くにして三様の姿をあらはしてゐる。どちらが元であるかは容易にいはれないやうである。しかし、第二句が「千代にましませ」第五句が「こけむすまでに」といふのは平安朝時代のものだけで、その以後にはさういふ例は見えぬ様である。(後略)」

pp.145-146 「十三 「君が世」の曲の制定」の項
「(前略)この「君が代」の譜は名義は林廣守となつてゐるが、その實は「廣守の長男林廣季氏と奥好義氏と二人の合作であります」と和田信二郎氏は傳へてゐる。(中略)なほ和田氏が録してゐる宮内省式部職雅楽長芝忠重氏談話によると「楽部にては御大禮、御大葬などの場合に数名の者が各作曲し審査の上其の一が採用せられるが、それは其の人の作とせず、必ず楽長が代表者となり、個人の作曲とはしない慣例になつてゐる」さうである。(後略)」

資料3 繁下和雄,佐藤徹夫 編集『君が代史料集成 第3巻』大空社, 1991【767.51/キ1/3】
巻頭 「フェントン肖像(瀬戸口藤吉氏所蔵)」
「(前略)海軍お雇軍楽教師となる。(後略)」
巻頭 「林廣守肖像(瀬戸口藤吉氏所蔵)」
「(前略)国家「君が代」改定委員を命ぜられ現雅楽調「君が代」を作曲したる人」
巻頭 「エッケルト肖像(瀬戸口藤吉氏所蔵)」
「(前略)「君が世」曲譜改定の議起るや改定委員に選ばれ、林廣守の作曲を選定し是を吹奏楽譜に編成す。」

(2)参考
ア.当館所蔵の古今和歌集・和漢朗詠集をお調べしたところ,元歌だと言われている歌の記載がありましたので,参考までにご紹介いたします。
資料4 紀貫之ほか撰『古今和歌集』有朋堂書店, 1926【918/ユ1/9】
p.62 「古今和歌集 卷第七」の項
『賀歌 題しらず 讀人しらず  我が君は千世に八千世にさされ石の巌となりて苔のむすまで(後略)』

資料5 片桐洋一『古今和歌集全評釈 中』講談社, 1998【911.13/カヨ982/2】
p.13 「古今和歌集 巻第七 賀歌」の項
『題しらず よみ人しらず 三四三 わが君は千世に八千世にさざれ石の巌と成りて苔のむすまで【要旨】未来永劫に長生きしてくださいという長寿への祈願をおおらかに言いなしている。【通釈】題知らず よみ人しらず あなた様は、千世にも八千世にも、小石が大きな岩に成長して苔が生える先々まで長寿であっていただきたいもの。(後略)』

資料6 藤原公任 撰,大曽根章介 校注『和漢朗詠集』新潮社, 1983【918/ニ4/61】
p.289 「祝 775 わが君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」の項
「775 あなた様の寿命は千代までも八千代までも、たとえば小さな石が大きな岩となってそれが苔が生えるまでも、末長くお栄えになりますように。(後略)」

資料7 金子元臣,江見清風『和漢朗詠集新釈』明治書院, 1965【919.3/カ2】
pp.499-500 「君が代はちよにやちよにさゞれ石のいはほとなりて苔のむすまで。 よみ人しらず」の項
「【出典】古今集賀「題しらず、讀人しらず」とありて、初句「わが君は」に作り、古今六帖に、二句「ちよにましませ」に作る。【大意】我が大君の天の下知しめすこの大御代は、細石が巌石となりて、その上に苔の生す時まで、千萬年も變ることなく、栄えましませと、祝ひたるなり(後略)」

イ.下記資料に元歌となったと思われる歌の作者の記載がありましたので,参考までにご紹介いたします。
資料8 塙保己一 編纂『続群書類従 第16輯 下』続群書類従完成会, 1957【081.5/ク2-1/16-2】
p.577「和歌部」/「巻第四百五十三」/「古今和歌集穩名作者次第」の項
「(前略)賀 十一首 わかきみは 君が代は共いふ也  橘淸友。(後略)」

ウ.資料1 『世界大百科事典 7』平凡社, 2007【031/079/7タR】に記載している薩摩琵琶歌《蓬莱山ほうらいさん》について記載がありましたので,参考までにご紹介いたします。
資料2 山田孝雄『君が代の歴史』宝文館出版, 1979【911.1/ヤ1-2】
p.107 「十 江戸時代に於ける「君が代」の歌」の項
「(前略)蓬莱山といふ曲があるが、この曲の詞には「君が代」の歌が引用せられてある。(中略)ここには「君が代」の歌は全章そのまゝとり入れてある。(後略)」とあり,「蓬莱山」の歌詞全文が記載されています。

また,薩摩琵琶歌《蓬莱山ほうらいさん》は『薩摩琵琶歌大全 前編』に記載があり,下記の国立国会図書館デジタルコレクションにて,閲覧が可能です。
・「国立国会図書館」 URL: http://www.ndl.go.jp/ (最終検査日:2016/11/3)

2 君が代の2番の歌詞について
以下の資料に記載がありました。
資料9 『日本教科書大系 近代編 第25巻』講談社, 1978【375.9/ニ1/25】
p.14 「小學唱歌集初編」/「第二十三 君が代」の項
「一 君が代は。ちよにやちよに。さゞれいしの。巌となりて。こけのむすまで。うごきなく。常盤かきはに。かぎりもあらじ。
二 きみがよは。千尋の底の。さゞれいしの。鵜のゐる磯と。あらはるゝまで。かぎりなき。みよの榮を。ほぎたてまつる。」

資料10 繁下和雄,佐藤徹夫 編集『君が代史料集成 第5巻』大空社, 1991【767.51/キ1/5】
pp.13-14 「二、我が国家の歌詞は何から選出したか」/ 「文部省編 小學唱歌集初篇所載「君が代」」の項
「君が代は ちよにやちよに さゞれいしの 巌となりて こけのむすまで うごきなく 常盤かきはにかぎりもあらじ
きみがよは 千尋の底の さざれいしの 鵜のゐる磯とあらはるゝまでかぎりなき みよの榮を ほぎたてまつる」

3 君が代の歌詞の意味について
以下の資料に記載がありました。
資料2 山田孝雄『君が代の歴史』宝文館出版, 1979【911.1/ヤ1-2】
pp.39-48 「六 この歌の本来の意味」の項
「(前略)さて、この歌はどういふ意味の歌であるか。本居宣長の古今集遠鏡はそれらの和歌を俗譯して初学者に端的にさとらしめたものであるが、この歌については次の如くに述べてある。コマカイ石ガ大キナ岩ホニナツテ苔ノハエルマデ千年モ萬年モ御繁昌デオイデナサレコチノ君ハ といふのである。ここに「我君は」をば「コチノ君ハ」と譯してある。(中略)この歌にいふ「君」は祝賀を受ける人を誰でもさしてゐるといふことを本居宣長は我々に教えてゐる。(中略)かくして考へてみると、この「君が代」の歌は一般の人々の年壽を賀する歌であり、而してそれは天皇皇族に限らぬものであつたことは明かでここに至つてはどう考えても異論もあるべく思はれぬ。」

資料3 繁下和雄,佐藤徹夫 編集『君が代史料集成 第3巻』大空社, 1991【767.51/キ1/3】
p.105 「歌詞に関する研究」/「歌詞解釈」の項
「(前略)我が天皇陛下の御治め遊ばす御代は千年も萬年も榮えます様に。(いやでもそれではまだまだ言ひ足りない)あの小さな石が長じて大きな岩となり,またそれに苔の生えるまでも(幾久しく榮えます様に祈り奉る。)といふのである。」
また,pp.85-105では歌詞を単語単位に分解し、例えば「君」の意味,「が」の意味,「代」の意味と詳細に記載されています。

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