■「環境に投票する」ということ 辻信一

■「環境に投票する」ということ 辻信一
http://www.thecleanestline.jp/2013/07/i-vote-the-environment.html

世界中いたるところ、環境問題をめぐる対立ばかりだ。たとえば貴重なウミガメが産卵する海岸を守ることが大事か、あるいはもっと多くの人に雇用を与えることの方が大事か、というふうに。原生林を守るか?それとも家を建て、紙をつくるために木を伐るか?人間にとっての便利さと、ほかの生きものの生命とどちらを優先させるべきか?

どちらをとるか、と問いつめられたら、誰だって困る。対立する双方とも、自分たちのやっていることの方が大事だと真剣に考えているのだから。そして結局は、その片方――たいがいは環境を守る側――が負け、誰かにとっての何か大切なものが失われる。それが対立というもの。

でも、そこでぜひこんなふうに考えてみてほしい。もしわたしたちがいま守ろうとしているのが、自分の子どもの命や、これからの世代が生きていく未来だとしたら、どうか、と。「子どもたちの未来を守るべきか、それとも・・・」などと誰も考えないはずだ。つまり、もうそこでは対立なんかしている場合じゃないということだ。


相対立する両者のどちらをとるかという選択が、選択として成り立つことができた(あるいは、そう思えた)これまでの時代は、ある意味、「しあわせな」時代だったのかもしれない。選択の自由があった(あるいは、あると思えた)わけだから。しかし、そういう時代はすでに終わってしまったのだ、とぼくは考えている。そのことを見事に、そして象徴的に示してくれたのが、福島の原発事故だったはずだ。

あれから二年、しかし、ぼくたちの目の前にはいままた、原発推進の道をとるか、脱原発の道をとるか、という昔ながらの選択が置かれている。どちらに票を投じるかはあなたの自由だ、というわけである。一方は、「脱原発によって経済成長を阻害するのは無責任だ」と言い、もう一方は「未来の世代に危険な核廃棄物を背負わせるのこそ無責任だ」と言う。

ぼくたちはしかし、このどちらかを選ぶ自由を、本当に与えられているのだろうか?一方は経済成長の果実を享受する、あなたを含むかもしれない人間たちに対する責任。他方はこれから何万年もの未来にわたって生きる人々(そして人間以外の生きものたち)に対する責任。同じ「責任」という言葉だが、その中身はあまりにもかけはなれている。最大の違いは、先の原発問題を例にとれば、一方の脱原発によって迷惑をこうむるという人たちが、それに反対することによって自分の権利を主張できるのに対して、原発推進のつけを負わされる者たちのほとんどは、権利の主張どころか、意見を言う機会すら与えられていない、ということだ。「死人に口なし」というが、まだ生まれていない者たちにも口はない。

これはフェアだろうか?「経済」か「環境か」という選択の自由が自分の手の内にあるというのは幻想にすぎないのではないか?

そこでもう一度考えてみてほしい。「環境」とはいったい何のことなのだろう、と。それは何よりもまず、人間が生きていくためになくてはならない絶対的な条件のことだ。きれいな空気、きれいな水、食べものを育てる肥沃な土、そして太陽のエネルギー。ぼくたち人間がそれなしには生きていけない、これら4つの要素のことだ。そしてさらに、この地球上に我々と共に生きる三千万種もの生きものたち。この生物の助けなしに、4つの恵みが人間にもたらされることはない。不思議なことに、大自然は、すべての生きものが生きていくのに必要なものをすべて用意してくれている。まるで地球そのものがひとつの生きものででもあるかのように。

水、空気、土、エネルギー、生物多様性。これらの一つひとつが我々人間の生存の土台だ。環境破壊とは、それらを損ない、奪い、未来の世代の生存そのものを危うくすること。そして我々人間はこれまで、そんなことをする権利が自分に与えられているかのように振る舞ってきた。

さまざまな環境問題がある。環境汚染、遺伝子汚染、生態系破壊、気候変動、オゾン層にあいた穴、種の絶滅、資源枯渇、水不足、食料危機……。環境問題とは何か?それはもはや、たんに一つの川の汚染のことでも、一つの森の喪失のことでも、特定の人々が避難を余儀なくされたり、病に苦しんだりすることでもない。それはもはや遠い場所の見知らぬ人々を襲う不幸ではなく、この地球全体を、未来全体を、暗雲のように覆っている。もうこれ以上、「環境か、それとも……」という選択の余地があるようなふりをするのは止めにしよう。

「環境に投票」するとは、対立の向こうにある新しい時代へとさっそうと進み出ることだ。ニセモノの選択肢を超えて、未来そのものを選びとること。値踏みしたり、秤にかけたりすることなく、命を肯定し、抱擁すること。

自然は偉大だ。地球は、何億、何十億という年月をかけて広大無辺の宇宙をめぐりながら、ゆっくりと、信じられないほどに多様な生きものたちが暮らせるような、完璧な環境をととのえてきた。病気やけがを自分で治すことのできる、驚くべき能力ももっている。その偉大なる自然を信じよう。この星に、人間の未来を救うような大きな奇跡が起こることを。

ただし、その奇跡が起きるかどうかは、ぼくたちにかかっている。このかけがえのないすばらしい星で、これからも無数の世代がその恵みを受けて生きていけるかどうか、それはぼくたち一人ひとりにかかっている。

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